2018.1.7
ハラハラしながら年明けを過ごしている。
毎年毎年毎年…地味に正月を過ごし、今年はどんな年にしようか、楽しみで仕方ない、、、のであったけれど、昨年ほど予測しない不測の大事件が、ビッグイベントと表裏一体で起こり、生きてる事が、地雷を踏まぬ様な緊張感がある。弱気にもなっている。こんな事は初めてだ。2010,2007辺りも真っ暗な時を過ごしていたが、去年の強制退去とチベットでの高山病から比べれば、他の忌まわしさは薄れる。
下痢するのが怖いから旨い物は食わず 粥ばかり食う…これから先、そんなイメージで生きていくのはご免だ。
強制退去自体は払拭出来ないが、とにかくまた渡米を試み、トラウマから脱しなくては 粥を食い一生を終えることになる。
念頭のこのびくびく感と、それに反して、強く決めた事がある。
付き合いにくっきり線引きをする。
今までせず、万人歓迎!の如くだった…ようだ。
損得勘定はしないが、とにかく楽しく、それを分かち合える人と過ごしたい。難問や不幸のシェアは要らない。
今まで、会いたい人にアプローチし、会いましょ、と問いかけてズルズル会わない、会う気が見えない人は、とても残念で悲しく感じていたけど、そこを切り取れば、悲しさはなくなる。
小さくても 楽しく幸せがあることを大切にし、
愚痴や万年同じ不満やネガティヴに生きる人には会わない。会っても対処してるうちに、別れ私は心が千切れそうになる。不満やネガティヴから生まれるものは無い。
年初めは、風呂屋で 平和に風呂に入る人々を眺め、いいなぁと心がほっこりした。
あの感じを続けるのが今年。心の栄養、笑顔と平和と楽しみに前進! 振り返らない。
極月
やーっとしまいまで来た😑
今年は、おったまげ〜の連発で、
〆(であって欲しい)が、両足の手術。
自ら計画して挑んだ手術なので、文句はないけど、こんなに歩けないものか?という痛さ。
靴がちゃんとしていれば、そうでもないのか?という足底の骨の形成。
感動は、忘れもしない全身麻酔。
点滴から投与するので、全く痛み無し。それで且つ、麻酔が体内に浸透するがわかる。
寂聴氏が、極楽のようと例えてらしたが、ホントにそうだった。
覚醒も、呼ばれて帰ってくる感じが、気持ち良い。術後の痛みは別だけど。
あの全身麻酔と個室での入院は、軽い贅沢なバケーションのようだった。
抜糸まであと1週間。それまで自力で執刀医に再会ならばいいな。
霜月
久々。
ヤル気のない日々。
「終った」感が満ち溢れ、
頑張ってる人や頑張らないといけない人が近くにいるだけで、私が息切れする。
早期に年金受給資格の枠に入れてもらい、余生というレベルに行ってもいいかな、くらいの心境。
やりたい事がない。
畑仕事をしてみたいが、「し続ける」という作業に気が遠くなる。
そんな長い線を引いて進まずとも、点という毎日を一生懸命やってたら、気づいて振り返っていたら線をになっていた、というのが、人の道なのかもしれない。私は それに疲れた、疲れきった。元々 根性も継続力も力量もないのに、25歳の時のしくじりで、目覚め、そこからブイブイと戦車のごとく生きてきた。25年でThe End. 人様の役に立てれば、人様の手を取り励まし、亡己利他を自然に実践していた自負があったが、今は消滅し始め、かと言って自己を大切にしている自身や気合いもない。
浮草⁉️ Dangling...
最近、一日 古畑任三郎を見た日が 2日あった。今日がその2日目。ソファでごろ寝を4日した。腹筋も背筋も溶けてなくなるんじゃないかと思った。明日もそうするのかという不安が夜中に起き、死んでしまいたくなる。
しかし、昨今、死んでしまいたいと思うと ホントに殺されて死に至る事件があり、思ってはいけないと、そんな理由から 真っ当で居ようと思ったりする。
手指の乾燥症は治らずひどくなるばかり。
足指の関節も我慢して歩けるが、夜には割れるような痛みが起こる。それが手術で治るのか?という疑惑も起こるが、何もしないでいるのは最悪。体重を減らせば解決なのか。
先々月加入したジム。これが要、行かないと。歩くなという施術師がいたりするが、加齢に伴い、骨、骨格、関節…劣化変形はやむを得ないというのが正解だと体で感じる。どんなに体のメンテをしているバレリーナ、スポーツ選手、役者…皆、「あたたた(痛たたた)」と言いながら 毎朝起き上がり、姿勢や体型を気にし続けながら生きぬいているのだ。痩せて小さな私のお客様も そうだ。体操や動作の連続で 加齢劣化は防げない。
ヤル気のなさ…それを正すセラピストはいないものか。
穴ぐらにいる様な
強制送還から1週間経過しようとしている。
先週の今頃は羽田空港から 軽やかに旅立っていた…ような。
今となっては、軽やかだったのかどうかもわからない。羽田空港のセブンで買ったおにぎりやお菓子も 搭乗の際 どこかに置き忘れていた…機上で気がつき、『ヤバイな自分』と思い イヤな予感羽田空港していた。
送り返され、ショックと意外の塊で、帰宅して暫くは普通で いられた。
犯罪があって戻された訳ではないが、日に日に自分のバランスを崩している。
夜になると 息苦しくなり、拘留されていた あの空間とその時の心境が蘇る。判断がつかない、自分の経験や知恵では乗り越えなれない、ものずごい大きな圧力につぶされ消される寸前がずっと続く…。
その国さえ見なければ、考えなければ、それでいいのじゃないかと言い聞かせてみる、特に愛着のある国でもないのじゃと…。そこに私の心や魂 愛が残っている---のか。
難民経験された人々を思う。自国に居られず、自国から逃げなければいけない人々。どんなに不安だろうか。どう自身を保っているのだろうか。メディアが見せる彼らの顔には嘆きがあふれて 悲しさがおおっている。少なからず私にも嘆きたい悲しみがあるが、押し込められ出て来ない…それが 自分を押しつぶしている。怖い、突破口がない、苦しい---。語る手段も無くした。助けてとも言えない。
私は何処へ行くのか、どこかへ行けるのか。そんなに定規で引いた様には切って捨てられない、コンピュータのようにカット 消去出来るものでもない。
時に流すしかないのかな。
誰も味方じゃない、
私だけが なぜこうなったのか…
そんなメンタルの歪んだ思考が出現してきている。誰かを恨みはしないが、誰も恋しいとも思わない。
希望がないのかなぁ…。
あまりに静かなこの夜。
空気がなく、真空パックされているみたい。
3/5
どんな始まり、三月。
先月の、正月の延長線上の毎日。
去年くらいからテレビ見るのが、
楽しみになり、
ドラマの再放送や、
ドラマの一挙全編放送に楽しさを覚えている。
テレビ、約20年ぶり。
ずっとテレビにくぎ付けとかあり得ない生活で、子供の頃 銀座ナウやアニメ、ドリフにゲバゲバをやたら見ていた感覚が蘇る。
2:48am
2月も行ってしまう。
今月何をして、何をしなかったのか。
2017の2月。
人生で初、フラットな日々。
何かと驚きはあるものの、
驚かなくなった。
歳を重ねたゆえ、つまりは経験値の成せるゆえ。いいのかなんだか。
凡人の我が身は 歳をとっただの、扶養の選択、人間やめますかでも ただ年取るって方法もあるけれど、著名だったり芸術を志したり、向上し続けなければ生きていけないケースは大変だ…と、言いたいところだけれど、その実 ホントに大変なのは、惰性でこの世を生き続けなければならない事だ。
漠然とただひたすらに点の日を送る。
しかし、それは、諸行無常の事をさすのではなかろうか。
燃えない情熱を携帯し、うろうろと犬もしないしぐさで、毎日毎日時間を、目をむいて、大半天井を見上げるかな。
エンジンかかっているのか。
エコエンジン然とし、停止時に音がなく、自分でも確認ならず。誰も気づきもせず。
そんなんでいいや、と。